今から82年前。
1936年(昭和11年)10月25日に「空手」という表記が公式に決定されたそうです。

意外と最近でビックリ!

日本の空手は、元々は「唐手(トゥーディー)」と言われていました。
唐手は明(今の中国)から琉球王国(今の沖縄県)へ伝わったと言われています。

1372年(室町時代)、琉球王国の王様である察度王は明と貿易を始めます。
貿易によって、様々な文化とともに中国武術が伝わりました。
中国武術は、琉球古来の武術「手(ティー)に取り込まれ融合していきました。

琉球王国時代には唐手の流派というものは存在せず、それぞれの地域に住む士族がしていた武術でした。

その中で、唐手が盛んな三地域の地名を冠して、「首里手」、「泊手」、「那覇手」の三大系統に大きく分類されました。

その唐手を本土に伝えたのが、松濤館の創始者・船越義珍という人でした。

船越義珍は、1885年(明治18年)に初め那覇手の大家・湖城大禎の元で唐手を始めました。
しかし、3ヶ月で辞めてしまいます…。
その後、今度は首里手の大家・安里安恒の元で唐手を始めます。

船越義珍は唐手の修行を続けながらも、19歳の時小学校準訓導教員の検定試験に合格。
以後30有余年教壇生活を送りました。

小学校で教鞭を執りながら、船越義珍は小学生達に唐手も指導していました。

1922年(大正11年)、文部省第一回運動展覧会出席のために上京し、この展覧会で唐手術の演武と解説を行いました。
そして、柔道の嘉納治五郎の要請を受け、講道館の柔道の高段者相手に唐手術の講習を行いました。
これが本土に於ける唐手術普及の第一歩となりました。

その後、警視庁や大学などでの指導により唐手が広まったって行きました。

廃藩置県以降での空手表記の初出は、1905年、(明治38年)に花城長茂が空手空拳の意味で使い始めたものです。
その後、船越義珍や元部朝基の著作に断片的に「空手」の文字が使用されてきました。

そして、1929年(昭和4年)に船越義珍が師範を務める慶應義塾大学唐手研究会がが般若心経の空の概念を参考にして、
何も持たないという意味の「徒手空拳」(としゅくうけん)の「空」と、

仏教の教えである「色即是空 空即是色」の「空」をとって「空手」という文字に変えました。

「色即是空 空即是色」は般若心経の中に書かれており、その意味は「この世にあるすべてのものは因と縁によって存在しているだけで、その本質は空であるということ。また、その空がそのままこの世に存在するすべてのものの姿であるということ。」です。

この表記が東京を中心に広まりました。

そのして、1936年(昭和11年)、那覇で「空手大家の座談会」(琉球新報主催)が開かれた際、唐手を空手に改めることが正式に決定されました。

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