空手は現在、世界中で愛される武道の一つですが、その歴史は非常に深く、そして興味深いものです。この記事では、空手がどのようにして「唐手」から「空手」と呼ばれるようになったのか、その変遷と重要な出来事について詳しく見ていきます。

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唐手の起源

日本の空手は、もともと「唐手(トゥーディー)」と呼ばれていました。唐手は明(現在の中国)から琉球王国(現在の沖縄県)に伝わったと言われています。1372年、琉球王国の王である察度王は明と貿易を開始し、この貿易を通じて様々な文化と共に中国武術が琉球に伝わりました。中国武術は琉球古来の武術「手(ティー)」と融合し、唐手として発展していきました。

流派の成立

琉球王国時代には、唐手の流派というものは存在せず、それぞれの地域に住む士族が独自に武術を練習していました。その中でも特に盛んだったのが首里、泊、那覇の三地域であり、それぞれの地名を冠して「首里手」、「泊手」、「那覇手」と呼ばれる三大系統が形成されました。

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唐手の本土への伝播

唐手を本土に伝えたのは、松濤館流の創始者である船越義珍でした。船越義珍は1885年(明治18年)に那覇手の大家・湖城大禎の元で唐手を学び始めましたが、3ヶ月で辞めてしまいます。その後、首里手の大家・安里安恒の元で再び唐手を学び始めました。

船越義珍は唐手の修行を続けながらも、19歳の時に小学校準訓導教員の検定試験に合格し、以後30年以上にわたり教壇に立ちました。小学校で教鞭を執りながら、船越義珍は生徒たちに唐手を指導しました。

1922年(大正11年)、船越義珍は文部省第一回運動展覧会に出席するため上京し、この展覧会で唐手術の演武と解説を行いました。さらに、柔道の嘉納治五郎の要請を受けて、講道館で柔道の高段者を相手に唐手術の講習を行いました。これが本土における唐手普及の第一歩となりました。

空手という名称の誕生

廃藩置県以降、1905年(明治38年)に花城長茂が「空手空拳」の意味で「空手」という表記を使い始めました。その後、船越義珍や元部朝基の著作にも断片的に「空手」の文字が見られるようになりました。

1929年(昭和4年)、船越義珍が師範を務める慶應義塾大学唐手研究会が、「般若心経」の「空」の概念を参考に、「徒手空拳」の「空」と「色即是空 空即是色」の「空」を取って、「空手」という文字を採用しました。「色即是空 空即是色」は般若心経の一節で、その意味は「この世にあるすべてのものは因と縁によって存在しているだけで、その本質は空である。また、その空がこの世に存在するすべてのものの姿である」という教えです。この新しい表記は東京を中心に広まりました。

そして、1936年(昭和11年)、那覇で開催された「空手大家の座談会」(琉球新報主催)において、唐手を正式に「空手」と改めることが決定されました。

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